『相手のせいにしても解決しない』*対人トラブルをかわす技術2
「気分で態度をコロコロ変える」「偉そうにする」「根に持つ」「ずるい」などなど、相手の嫌な部分も色々だと思いますが、嫌なヤツの嫌な部分を見つめていても、ますます嫌な気分になるだけで、相手の態度が変わるわけではないのです。
「嫌な人だなぁ」という感情のまま接し続けていると、自分は上手く隠しているつもりでも、相手には何となくそういった感情が伝わっているものです。
これは「お互いに」そうなんじゃないかな、と思います。
過去、「何となく嫌われているな…」と感じたことってありませんか?
あなたにとっては「相手の態度に問題がある」ことであっても、相手にとってはあなたから伝わる「気持ち」が原因、という言い分があるかもしれません。
誰が悪いとかどちらが悪いとか、そういうレベルから自ら脱却していく術を身につけていくことが、対人トラブルをかわすコツとも言えます。
誰であっても、その人が自ら気が付かない限り永遠にその人で在り続けます。
それは、たとえあなたが不快な気持ちを持ち続けようとも、その人自身の問題なのです。
ただ、「相手の立場にたって、お互いの関係をより良くするために忠告する」ことはできるでしょうし、まったく相手に悪意がなく気づきや思いやりの意識レベルが低い場合は「提言する」こともできるでしょう。
「間違っている」「悪い」という観点から他者を批難する思考を手放していくことが、結局、自らを楽にする手段となります。
仮に、「誰に聞いても嫌な人」といのは存在するとして、その人が間違っているということを証明し確信できたとして、状況は何も変わらないでしょう。
対人トラブルを軽減させたいのであれば、まず、相手がどうであるかということよりも、自分がどうであるかということに主軸を置いて行動することです。
これは「そこで道をふさぐ岩に文句を言っても仕方がない。別の道を探すか、岩を退けるか、岩の脇をすり抜けるか、乗り越えてみるか…」という感じに似ているかもしれません。
そして「相手にも自分にも感情や言論や思考する自由」があるということを認め、相手に「過度な期待」を寄せすぎないことです。
岩に対して「どうして砂じゃないんだ!どうして土じゃないんだ!」と憎々しく思ったとしても、岩は岩でしかありません。
また、「自分はこれだけ頑張っているのだから…」などと、あなたの頑張りを他者に強いるようなことも、エネルギーの無駄使いです。
頑張り方や得意な事、経験や価値観など何から何まで違う人生を歩む人同士を比べるのは無意味です。
そもそも、まったく異なる人々が集合体としてコミュニケーションをとりながら、大きなくくりにおいて、それでもどうにか円滑に共存できていることがまず奇跡的なのです(笑)。
多くの人が雑多に存在する中「理解できない人」や「生理的に受け付けない人」が存在しても当然だという認識が必要です。
例えば自然界の植物一つを見ても、奇形や亜種が発生するのは普通のことですし、それはそれで意味のあることなのです。
また同じ品種の果物でさえ、その一つ一つの風味は違っています。
人もまた地球と言う大自然に生きる生命として、同様のことが起こっても何の不思議もありません。
つまり、イロイロなクセののある人々がこの世に存在することは当たり前の事であり、そういった中で生きていくことが人生であり、それは決して不快な事というわけではなく、ただ「そうである」というだけのことなのです。
*参考書籍
「感情の整理」が上手い人の70の技術