脳内ハピネスな人は、何となく違和感があるんや。
脳内のハピネスに踊らされていると、バランスが悪くなると思うのは
私だけではないはずや…。
何のこと?って?
それは、「キレイで埋め尽くされたウソの自分」を保つための
歪な日常…とでも表現すればイイのか。
誰だって間違った自分、醜い心の自分、弱い自分、逃げる自分などなど、
あまり人に知られてたくない心の闇(?)みたいなのは、認めたくないし、
できれば追い出してしまいたい。
その感情は健全や。
しかし、本当にそういった「自分の不都合」を完全否定する人種がいてる。
つまり自己愛性人格障害、パーソナル障がいの一種やな。
多くの人はここまで行かへんとは思うねんケド、美しい自分で
どれほど着飾ったとて、自分の本質をまず受け入れることができないと、
根本的な進歩は難しいねん。
本質が必ずしも歪んでいて醜いわけでもないしな(笑)。
今、自分が「良くない」と思っているその性格や習性こそが
自分を生かし、活かしてきた場合も多いことに気が付くはずやし、
まともな人やったら(笑)。
ただ、これから生きていくにあたり、修正したいと思う部分が
あるのであれば、バランスを見直すとか、使い方を変える、というような
気づきとか行動の変化は必要かもしれへんケド。
どっちにしても「美味しいとこ取り」ってのは、摂理として無理やねん。
人生は死ぬまで勉強とは、その通りなんやろうな。
だから、一つクリアしたらまた別の課題に気が付き、またそれを
クリアしていく…その連続であると思った方がええかな。
だから、惑わされんように、気を付けなあかんねん。
心地よいだけの偽物は「薄っぺらい」から、注意していれば
すぐに見抜けるから。
脳内ハピネスでは結局、誰も幸せにならへんねん。
自分の悪いところが受け入れられない人は、所詮、他者のことは
受け入れられない。
赦しのないところに幸せはないと思うねんケド。
まぁ、とにかく脳内ハピネスさんは、周囲からするとチョット引く感じやな。
もちろん何事も美しくないよりは、美しいほうがイイに決まってるから、
自身の向上になるよう、言葉使いや行いは、どんどん美しくしたらイイねん。
ただその行い自体に誰かの反応とか、評価とか、賞賛とか、
何らか外的証明が必要なうちは、本当の安寧とはいいがたいな。
真の安らぎは、証明されるものではなく、自らによってのみ
体感できることなんや。
案外、本当に悟っている人ってのは、この世にどれほどいるのかは
知りようもないが、例えば、正しいことを簡単な言葉で素直に表現し、
キレイごとを並べ過ぎず、実生活にそったものの見方と行動をし、
会えばその存在感は空気のようで拍子抜け…かもしれへんで(笑)。
ま、威風堂々ご威光宜しくと、それらしく振る舞わず、自然体で
偉そうに誇示もせず、一見、そうとは気が付かない風でもあることが
結構多いようや(笑)。
気がつけへんだけで、意外と身近なトコロに居てはるかもしれへんよ?