成功哲学放浪者に想いを馳せてみた。 1
私は二度、別々の時期に別々の不思議な方々に
「前世でジプシーだったことがありますねぇ」と
言われたことがあります。
「へ?そーなの?」(何でそんなの分かるのか、不思議~)
って感じでしたが、相棒のえむりんはその言葉を聞いて
「分かる~!」とか言いましたので、私はきっと
「ジプシーっぽい」のでしょう。
ちなみに。
私たちのジプシーのイメージは、
「自由人・放浪・旅芸人」という感じの、映画か何かで見た
ような、あの「ジプシー」ですが、このジプシーというのは
今の日本では差別用語となっているようで、「ロマ」と呼ぶのが
無難なようです。
そういえば。
ここ近年でしょうか・・・。
「○○ジプシー」という言葉が発生しましたよね。
定着せずに渡り歩く様子を比喩しているもので、このサイト風に
例えるなら、「成功哲学ジプシー」という感じでしょうか。
まさに、「成功したい」と様々な哲学書を読んだり調べたり、
時には実践もするけれど、今だ、「成功できていない状態に
いる人」を指しているのでしょう。
そういう人の中には、自分が「○○ジプシー」であることに
自覚が無い場合がほとんどですが、自覚があっても
「ジプシーをやめられない」ことに悩んでいたり、
「ジプシーであること自体を恥じていたりする」場合が
あるようです。
しかし、私はある日、ふと思ったのです。
「○○ジプシーで何が悪い?別にいーんじゃないの?」って。
ところで。
何故「○○ジプシー」になるんでしょうね。
そこを見つめてみると、「○○ジプシー」である悩みも
軽減できそうだと思ったんですよ。
先に結論を言うと。
「○○ジプシー」になる人の多くが
「”知識欲に支配されているのではないか?”と、私は仮定した」
というだけのことなんですけどね。(笑)
例えば、「成功哲学ジプシー」の場合、何か「成功したいこと」
「叶えたい夢や願望」が、成功哲学との出会いのキッカケで
ある場合が、ほとんどかな?とは思います。
たいていの人が「自分の知っている現実ではどうにもならない」
あるいは、「楽にできそう」という感じで、成功哲学に気が付く
のでは?という気がします。
実際、困っていないのに成功哲学に取り掛かる人は、
生まれながらにその”縁”のあるような一部の人かもしれません。
私たちのような一般人は、「困った時の解決方法」として
成功哲学に出会うケースがほとんどではないでしょうか。
「神頼みもチョットどうかなぁ、、、もう少しリアルっぽく
いきたい気がするよね~、、、ただ、「奇跡」とかも、
やぶさかではございませんが」的な感じで。
確かに、私の知る限りの成功哲学の著書は、表現方法の
違いこそあるものの、結局は「想いの力」「想念の世界」、
あるいは「宇宙や神」というものの存在と無縁ではない、
幅広い解釈で言うなら、神秘性さえ感じさせます。
成功哲学に期待するものは、一種の「魔法」を期待するのに
似た感情だと思うのですよ。
ー続くー