成功哲学放浪者に想いを馳せてみた。 2
前回の「”成功哲学ジプシー”は知識欲に
支配されている、、、かもしれない」というお話の続きです。
成功哲学に「魔法効果」を期待する気持ちに近いのならば、
それは神秘であり、未知の領域とも言えます。
ですので、「誰でも”知りたくなる”のではないか?」と
思ったのです。
必死な心理状態であれば、なおさらではないでしょうか。
「わらをもすがる想い」の状況です。
そこで、成功哲学を読んでみる。
「あぁ、なるほど。こういうことか」と納得もする。
信じればこそ、「面白い」とも感じるでしょう。
そうして、成功哲学は自分の人生の領域に自然と
存在することになっていくかもしれません。
そして、です。
ここからは人それぞれだとは思いますが、例えば。
「非常に面白いので、もっと深く知りたい」と
思うかもしれません。
実際に試してみたけど、うまくいかない。
で、「もっと自分に合うものがあるのでは?」と
探しまくる、かもしれません。
「もっと他に良い方法、楽な方法があるのでは?」と、
探求するかもしれません。
このほかにも、動機となることはあると思いますが、
いずれにしても大雑把に言ってしまえば「知りたい」
ということです。
知りたいと欲する心、つまり知識欲ですが、
初めのきっかけは「成功したい」と思う気持ちだったとして、
途中でその想いが「知識を得ること自体の喜び」のほうが
大きくなってしまうことだって、あり得るんじゃないかな、
と思うわけで。
例えば、役者になろうと芝居を始めて、結局、監督になったり
演出家になったりするのと、たいして変わらない仕組みかな、と
思ったりするんですよ。
知ること自体が楽しい!
「それって、悪いことでしょうか?」ってトコロに、
私の想いはたどり着くわけなんです。
・・・ただ。
自分の思考が自分の想いの変化に気がつかない場合、
悩むことになるかもしれないなぁ、とは、思うんです。
発端は「どうすれば良いか?」という疑問です。
そこで「知らないから、知ろうとする」
これは当然で、必要な行動です。
ただ、知ろうとするうち「知ること」が目的になって
しまって、本来の「どうすれば良いか?」というのが
忘れはしないけど、行動としては後回しの形になって
しまうことがあるのでは?と思います。
意外によくある現象ですからね、これって。
だから、「紙に書け」ってしつこく言うわけですね、
どの成功哲学を見ても。
人の持つ「仕組み」とでも言うのか、ある種のワナです、
動作というのは。
その行動自体が目的にすりかわってしまう、、、
こともあるんです。
「知ろう」とする行動自体が、「目的」となる、
そんな感じです。
ですので、成功哲学の場合、つねに「何のために」
というのを忘れないことと、分かった時点で、一つ一つを
「実践していく」ということです。
「実践」という動作をとることで、人の仕組みを
上手く利用することができます。
つまり「実践」という動作をしながら、次々に
知っていくことで、「目的=行動」の循環となり、
結果として、一石二鳥の方法だと言えます。
それでも、なかなか成果のあがらない場合もありますが、
それについては、別の機会にお話ししようと思います。
知識欲を満たすことが幸せに感じられることだって、
アリだと思いますケドね、私は。